みなさま、大変ご無沙汰しております。長らくの間、告知もなく休載してしまい大変申し訳ありませんでした。 この間、いったい我々は何をしていたのか。もちろん、この金沢ライフマップの再開に向けて動いておりました。
そんなわけで、今回は趣向を変え、加賀料理「治部煮」をご紹介いたします。
なんだ、よく分からない料理ネタか…と、読むのをやめようとしているそこのアナタ! この記事の最後には、弊社スタッフによる料理対決動画を掲載しておりますので、どうか諦めずに、読んでいただければと思います。
加賀料理「治部煮」って?
「加賀料理」という料理をご存知だろうか。石川県の金沢をはじめとした加賀地方で発展してきた郷土料理であり、客人へのおもてなしのため、料理そのものと共に器に盛りつけた美しいさまを発展させてきた。
今回紹介する「治部煮」は、その加賀料理の代表格。鴨肉、麸(ふ)、里芋、しいたけなどを甘い醤油味の汁で煮込み、とろみをつけた汁とともに椀に盛りつけ、わさびを添える。甘く煮こまれた具材にわさびの辛さがアクセントとなり、とろみに包まれたやわらかな鴨肉や野菜が楽しめる一品料理だ。
図解!治部煮
<鴨肉>
小麦粉をまぶした肉を出汁で煮たもの。 鴨肉は手に入りにくいので合鴨肉(マガモとアヒルの雑種)や鶏肉も使われる。 ちなみに流通している合鴨肉の大半はアヒルの肉とのこと。
<麩>
すだれで成形した平たい生麩。金沢では「すだれ麩」と呼ぶ。 もちっとした触感で治部煮の定番材料。車麩などの焼き麩を使うこともある。
<青味の野菜>
季節の葉野菜。鴨肉の旬である冬なら「セリ」が付け合わされる。
<とろみ>
洋食でいうなら治部煮のソース。醤油と出汁のちょっと甘めの味付け。 肉にまぶした小麦粉が出汁に溶けてとろみになる。 片栗粉でとろみをつけた「あん」をかける場合もある。
<わさび>
ちょっと味を変えたいときに。 鴨肉が治部煮の太陽ならわさびは月だ!
<器>
料理はそれに合った器に盛り付けたいもの。 治部煮は椀に盛られることが多いが、洋風の平たい皿に盛れば文明開化の味がする。
昔は家庭料理だった?
治部煮の歴史は、江戸時代までさかのぼる。当時は今のような高級料理という位置づけではなく、武家から庶民に至るまで、幅広く親しまれる料理だったという。起源としては諸説あるが、山村で野鳥を使って作られた鉄鍋料理が、武士のもてなし料理として昇華した説や、かの前田利家公と親交のあったキリシタン大名・高山右近が藩に滞在していた折に訪ねた宣教師か考案したという説がある。
名前の由来の謎を追え!
「治部煮」という名前の由来
「治部煮」という名前の由来には諸説ある。主なものを紹介しよう。
- 安土桃山時代、豊臣秀吉の兵糧奉行だった岡部治部右衛門が、朝鮮から持ち込んだことに因んで
- 材料を『じぶじぶ』と煎りつけるようにして作ることから
- 野生の鴨肉を使うため、フランス料理の“ジビエ(野生の鳥獣の料理)”から変化した
という説があるのだが、実はどれも決め手に欠けるらしい。それに僕が言うのもなんなのだが、どれも取って付けたような感じである。
これならば、我々が「治部煮」という名前の由来を提案しても差し支えあるまい。あと100年もすれば、我々の考えた由来が定説になっているかもしれないのだ!
治部煮の名前由来案
<由来案A>
戦国大名、石田光成が考案したため、彼の官位「治部少輔(じぶしょうゆう)」から「治部煮」に。
<由来案B>
もとはおもてなしの料理ではなく、自分が食べるための大雑把な料理だった。そのため「じぶんに」が変化して「治部煮」に。
<由来案C>
この料理を食べた人がなぜか、手描きで作られた活き活きとした動きや独特の世界観を醸し出していたため、「ジ〇リ」が変化して「治部煮」に。
<由来案D>
古代ローマ時代、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸の間にあるジブラルタル海峡で、弓の名手グラッペデスがヨーロッパ側から渡って来るカモを射落とした。これに因んでカモを使った料理を「ジブラルタル煮」と呼ぶようになり、それが変化して「治部煮」となった。ちなみにグラッペデスはアフリカ側からカモを射たので、この料理は加賀料理でもあり、アフリカ料理でもあると言える。
<由来案E>
材料として使われることもある「車麩(くるまふ)」が変化して「治部煮」に。「くるまふ」→「くーまふ」→「くーふ」→「Theくんふー」→「是空麩(ぜくうふ)」→「ぜーふ」→「ぜぶ」→「ぜぶぶ」→「ぜぶぶぶぶ」→「ぜぶにゃん」→「じぶにゃん」→「治部煮」。
<由来案F>
器に盛ったさまが、オルドビス紀の節足動物「ジブニルクス」に瓜二つだったため、「治部煮」に。※ジブニルクスはオルドビス紀の大量絶滅で絶滅した。
<由来案G>
平安時代、権勢を誇っていた藤原道長が病に伏せった。道長に取り入ろうと様々な祈祷師が病魔を払おうとしたが、道長は回復しなかった。かつて道長に世話になった馬泥棒の 次郎太は、伊吹山に住むという仙人に頼もうとした。次郎太は伊吹山に入り、仙人を探したが何日経っても見つからない。とうとう帰ろうとした七日目の朝、次郎太の前に白い牛にまたがった童子が現れ、無愛想に仙人の場所まで次郎太を案内してくれた。次郎太が仙人に道長のことを頼むと「わかっておる そなたが山に篭っているあいだ祈願し続けたおかげじゃ。都に帰る頃には、その者は回復しておるだろう」といい、姿を消した。次郎太が都に帰ると、仙人の言った通り道長は回復していた…。という伝説から「治部煮」に。
といったところだろう。100年後が楽しみだ!
炎の料理対決 ~治部煮編~
これまで紹介してきたように、加賀料理である治部煮は、高級料理としての位置づけが強く、普段口にする機会は少ない。しかし、もともと家庭料理だった治部煮は、実はとても簡単に作ることができる。さっそく、我々も作ってみることにした。
しかし、ただ作るのでは面白くないので、グランゼーラの料理自慢2名による料理対決を開催、その一部始終を記録したムービーを用意した。ぜひ、ご覧いただきたい。
編集後記
元挑戦者インタビュー:
勝因? そんなの、パイナップルに決まってるじゃないですか。酢豚にだって賛否両論あるっていうのに…あ、僕は好きですよ。
やっぱ男はコメを食べなきゃ。次に作るときは、もっと完璧な治部煮チャーハンを作ってやりますよ!
高は車!お前が負けた要因はパイナップルともうひとつ! リンゴをウサギちゃんにしなかったことだ!
元チャンピオンインタビュー:
「治部煮」のもつ伝統的かつ格調高いイメージ。僕はそれを壊し、治部煮を新しくしたかった。勝負には負けたが、悔いはない。
フフフフフ…! この戦いを境に、治部煮の革命は加速していくだろう! 目に浮かぶようだ! 数年後、進化した治部煮たちが兼六園を埋め尽くす様子が!
チャンピオン・挑戦者ともに、治部煮に対する熱い思いをぶつけた「第一回 グランゼーラ 炎の料理対決」。次回以降も引き続き、金沢の食を料理対決を通じてお伝えする予定である。
そんなわけで、グランゼーラ 炎の料理対決では、料理対決のテーマを募集しております。ぜひこのテーマでやってほしい!という料理があれば、どしどし [弊社公式Twitter] にリプライをお願いいたします。
<制作・文責・料理>タイプリュータ、高は車
<デザイン>かっくん、タケやん
<統括>九条一馬
<料理対決監修>しもおき ひろこ
<料理対決補助>中西紀子
<スタジオ提供・協力>しもおきひろこキッチンスタジオ
<会計>まゆみん