金沢ライフマップ_Vol.008

金沢中心市街をはさむ「おんな川」と「おとこ川」

金沢城を中心とした城下町、その両臨を流れる二つの川がある。北東の「浅野川」は、ゆったりとした静かな流れの「おんな川」。南西の「屋川」は、川幅が広く流れも豪快で、「おとこ川」の愛称がある。夫婦のような二つの川は、古くから金沢市民の心のよりどころとして親しまれてきた。
詩人・室生犀星もこよなく愛した屋川の特集はまたの機会に譲るとして、今回の金沢ライフマップでは、繊細で優しい流れをたたえる全長 32.5km・浅野川を紹介しよう。

金沢城のすぐ両脇を並行して流れる浅野川と犀川。まさに天然の外堀だ

川面にたゆたう色とりどりの加賀友禅

清らかな水の流れにたゆたう、色とりどりの布の帯。この光景を見ることができれば相当なラッキー

川を泳ぐようにゆらめく友禅流し

石川県の伝統工芸「加賀友禅」。京友禅の創始者である絵師・宮崎友禅斎が晩年に身を寄 せた金沢の地で、当時栄えた染色技法「加賀御国染おくにぞめ」に大胆な意匠を持ち込んで確立した、 日本を代表する染色技法のひとつだ。 よく知られる「友禅流し」は、この加賀友禅の工程の中のひとつで、染色後の糊や余分な染料を水のきれいな川で洗い流すというもの。このとき、川の水が冷たいほど繊維が締まり、思ったとおりの色に染め上げることができるという。そのため、友禅流しは冬の金沢の風物詩として親しまれた。かつては浅野川や犀川のあちこちで見られるごく日常的な光景だったという。現在では川で流す業者はほんのわずかになってしまったが、それでも浅野川では運が良ければ友禅流しを見られることもある。

浅野川大橋~金沢のシンボル~

金沢城の両脇を流れる浅野川と犀川が、ちょうど金沢城に最も近づく場所。ここに、それぞれの川を代表する大きな橋が架かっている。その名も「浅野川大橋」と「犀川大橋」といい、2000年に仲良く一緒に有形文化財に登録された。とりわけ浅野川大橋は、大正ロマンを感じさせる美しい3連アーチを描き、金沢のシンボルとして親しまれている。 長さ 55m・幅 15.6m、4車線の両脇に歩道が通り、幹線道路としても重要な役割を果たすこの橋は、1594 年に加賀藩祖・前田利家によって架けられたのが始まりだという。現在架かっている橋が建造されたのは 1922年。以来 90年間、美観においても実用においても、金沢にとって欠かせない存在であり続けた。

浅野川大橋の3連アーチ構造。以前紹介した尾山神社・神門と共通するものを感じさせる

梅ノ橋~二度の流失からよみがえらせた市民の声~

梅ノ橋はこう見えても頑丈な鋼橋

梅ノ橋から望む浅野川大橋。ちなみに、これと対になる犀川大橋の上流側の橋を「桜橋」という

浅野川大橋の上流へ 200mほど行くと、これまた風情ある橋が架かっている。梅ノ橋一長さ 63m・幅 4m、歩行者・自転車専用の小ぢんまりとした橋だ。この橋が建造されたのは1910年のこと。ところが、1922年に早くも水害によって流失してしまう。そして再建されたのもつかの間、1953 年にも再び水害で流失。このときばかりは、一度は再建が断念されたという。しかし、それを再び再建へ向かわせたのは、金沢市民による強い要望だった。そして1978年、ついに現在の梅ノ橋が建造される。
外から見える部分はかつてと同様に木で作られながらも、内部構造は鋼で作られた、頑丈な複合橋として生まれ変わった3代目・梅ノ橋。その後も何度か補強工事が行われ、二度とこの橋が失われないようにするための努力が重ねられている。

極寒の夜に体験!七つ橋めぐりの伝説

今回の記事を書くための調査を行う中で、浅野川に まつわるとても気になる風習を見つけた。真夜中の0時、浅野川に架かる七つの橋「常盤橋→天神橋→梅ノ橋→浅野川大橋→中の橋→小橋→昌永橋」を一筆書きで巡っていく、その名も「七つ橋めぐり」。さらに、歩いている最中は決して振り返らず、言葉を発してはならない。これを遂行できれば、その見返りとして、なんとしもの病気にかかりにくくなるという。
見返りのくだりを除けばまるで伝奇小説にでも登場しそうな話だが、これは現在でも立派に生きている風習。ウォーキングを兼ねた体験イベントもたびたび開催されていたりするらしい。

コース全長、約3km。 出発前は軽いウォーキング気分だったのだが…

というわけで、もちろん私も七つ橋めぐりに挑戦してみないわけにはいかない。たまたま仕事が0時近くまで長引いてしまった日、これは好機とばかり、会社帰りにスタート地点の常盤橋へと直行した。前日までしばらく大雪が続いていたが、この日の天気は晴れ。道路にはほとんど雪が残っておらず、まさしく絶好の七つ橋めぐり日和だ。一しかし、そんな脳天気な考えは間もなく吹き飛ばされることとなった。
スタートして間もなく目に飛び込んできた川べりの道。そこには、まったく除雪されることのなかった、見渡す限りフッカフカの新雪が広がっていた。

…ここを歩くのか?

履いていた靴は防水とはいえ、くるぶし丈のもの。容赦無く靴の中に入ってくる雪。たびたび雪に足がとられて靴がすっぽ抜け、転びそうになる。これで川に落ちたら…恐ろしい想像が頭をよぎる。 さらに、進むに連れて雪はどんどん深くなっていく。くるぶしが埋まり、足首が埋まり、ついには座までも。信じがたいことに、最も深いところでは雪が膝上まで達していた。

膝まで埋まった記念。この時点ですでに足の感覚はない

それでもなんとか六つ目の「小橋」を越え、やがて次の橋が見えてくる。やった!あれが最後の「昌永橋」、ついにゴールだ!最後の気力を振り絞り、ついにその橋へたどり着く。欄干に書かれた橋の名前を確認すると…「彦三大橋」。おい誰だ彦三って。実はこの彦三大橋、1988 年というごく最近に建造された橋であり、言い伝えられている七つ橋の中に含まれていなかったのだ。 そんなぬか喜びを乗り越え、ついにたどり着いた本当のゴール地点・昌永橋。時刻は午前3時30分。ちなみに明日も仕事だ。

編集後記

プロデューサーから今回のテーマを浅野川にすると聞いたときは、正直言ってわが耳を疑った。浅野川なんて、どこにでもあるような普通の川じゃないか。そんな取るに足らないテーマで記事を成立させろだなんて、まったく馬鹿げた話だ。この忙しい時期に、たちの悪い冗談はやめていただきたい。
とはいえ、出撃命令とあれば行かねばならないのが革命戦士の悲しい宿命さだめ。苦し紛れでも無理やりネタをでっち上げてお茶を濁そう…そう思っていた。しかし実際に調査を開始してみると、出るわ出るわ、おもしろい事実が次々と。こんなにも金沢市民から愛されてきた川だったとは、去年から住み始めた私はつゆ知らず、新発見の連続だった。さらに、七つ橋めぐりでは浅野川大橋や梅ノ橋などの美しい橋の数々を堪能できただけではなく、しもの病気にもかかりにくくなることができた。浅野川よありがとう。またの機会に予定されている屋川の特集もご期待ください。

取材の最後に訪れた、浅野川の河口、大野川に合流する場所。このすぐ先には河北潟、そして日本海へと流れだす

<制作・文責>管次郎

<デザイン>かっくん

<監修>九条、みいはあ、タイプリュータ